シェリーと言えば?と問えば多くの人が名を上げるシェリー。それはティオ・ペペでしょう。このティオ・ペペが誕生したのは1837年の事、ちょうど英国のヴィクトリア女王が即位した年です。
ティオ・ペペとはスペイン語で「ペペ叔父さん」という意味ですが、ペペとは愛称なので、ホセ叔父さんというのが本訳。
このホセ叔父さんとは、実在した方で、ティオ・ペペの醸造元の創始者「ドン・マヌエル」の「叔父ホセ・アンヘル」と言います。
マヌエルは若干23歳の若さで自らの会社M.M.ゴンサレス社を創業しました。
創業して間もないある時、叔父のホセが、「最近気に入っているサンルーカル村のワインみたいな辛口ワインを造ってくれよ」と頼みます。
1837年、マヌエルは試行錯誤の上、それを完成したのでした。これがティオ・ペペの誕生となります。
ティオ・ペペのモデルとなったマンサニージャを生み出すサンルーカルは、彼等の住むヘレ
スから馬車でそう遠くない場所にあり、いつも新鮮な魚が上がる河口の漁村でした。河向うに
はドニャーナと呼ばれる広大な林があり、比較的裕福だったゴンサレス家は、週末にはそこで
ゲーム(狩り)をしていたそうです。そんなのどかな土地でのんびり隠居暮らしをしていたホセ叔父さんの楽しみは、マヌエルが造ってくれた辛口シェリーの樽の上に座り、ハモン(生ハム)を食べる事でした。
元来、スペイン人には、辛口のワインはそう受けてはいませんでしたが、辛口の酒が話題だという英国の噂を耳にしたマヌエルは、1839年、叔父さんの為に造った辛口のシェリーを英国に紹介しました。
すると、早速熱烈な賞賛の手紙を受け取ったのです。1844年、彼は英国への輸出を開始しました。
そんな19世紀半ばにはもう一つ大きな動きがありました。それは、フランスにおけるスペイン・ブームでした。発端はあの有名なメリメが書いたカルメンです。やがて、ドン・キホーテなどの再版も相次ぎます。その間、デュボスクというフランス人がマヌエルの右腕となり、フランスを始めヨーロッパ各国に営業活動を広げ、ゴンサレス社の名声の基礎を作りました。
1855年、マヌエルは、かつて自分に賞賛の手紙をくれた英国人ビアス氏をパートナーに向かえ、翌年には、老舗のドメック社やガルベー社の輸出量を凌ぐ3,885樽の輸出をするまでに成功したのです。

そんなゴンサレス社の看板シェリーとなったティオ・ペペが日本に輸入されるようになったのは1971年、日本に初めてのワインブームが起こりウイスキーの輸入が自由化された年でした。
発端は英国でティオ・ペペの味にはまった吉田健一でした。首相にして父の吉田茂の影響も受けた健一は英国で様々な酒を覚え、当時のオーシャン(現メルシャン)にその輸入を進言したといいます。実際、健一はティオ・ペペを始め、特にゴンサレス社の商品をいたく気に入り、自らの著作の中に同社のシェリーを登場させたのでした。
ティオ・ペペはまた、70年代に一斉を風靡した松田優作をとりこにし、探偵物語にもその登場が見られました。
何百年も一家団欒の象徴であった黒いボトルは2001年秋のグリーンのモダンなボトルに大きなイメージチェンジをしましたが、誕生から170年たった今、今一度生ハム片手にティオ・ペペを飲みながらホセ叔父さんの気分に浸ってみてはいかがでしょうか?(copyright:2008 Kohya.N)